チビタとチビチビタ(おうち英語・知育・かんたん親子制作)

長男チビタ(年長)・次男チビチビタ(2歳)の母が、なるべくお金をかけずにおうち英語や知育を取り入れたり、ママ界隈で流行ってるあれこれに軽率に手を出したり、ひたすら好きなことしゃべったりしてるブログ

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【切迫早産入院記録】②入院へのカウントダウン〜自宅安静初日〜

こんにちは!しずくです。今回は、突然の入院宣告・そしてわずか二日で終わった入院前の自宅安静初日についてのお話です。

 

自宅安静初日・妊娠27週2日

突然の入院宣

前回のA病院受診から4週間後、5回目の妊婦検診へ。前回2.9cmだった子宮頸管長は一気に2cmまで短くなっていました。そしてNST(モニター)の検査結果は、前回同様細かく波打つ張りがある程度で、張りの頻度が増えたり強くなっているわけではないよう。

ただ、切迫早産の診断に関しては寛容な考え(?)を持つA先生ですら、今回の結果は重く見たようで「できれば今日から入院して張り止めの点滴を打ったほうがいい」と突然の入院宣…。

前回も切迫で入院しているわけだから、今回も妊娠がわかった時点でいつこうなってもおかしくないとは覚悟していた。してはいたのだけど…それでもやっぱり今回も突然すぎて気持ちが追い付かず。

ひとまず、入院するにもチビタ(長男)の預け先等、これからのことを夫や両親と話し合う必要があるので、一旦家に帰って夕方再度受診することに。

「どうしても入院が厳しいのであれば、張り止めの内服+家事も育児もせず家で完全に寝たきりの生活を送ってほしい」とは言われたものの、そんなこと現実的にできるはずもなく。チビタ妊娠中も切迫で入院していたからこそ、お腹の中にいる赤ちゃんにとっては入院が最善の方法だということは自分でも痛いほど分かっているし…。最愛のチビタに長い間会えなくなってしまうことは悲しくて仕方ないけれど、赤ちゃんの命には代えられないと腹を括ることに。

 

診断が覆り、自宅安静に

その後、夕方に再度A病院を受診すると、A先生ではなく初めて会う女性の先生が対応してくれた。再度NSTを行い、モニターの結果を元に先生たちで相談を重ねた結果、なんと《総合的に判断して、ぎりぎり自宅安静ですむグレーゾーン》と言われる。入院する覚悟を決めてきたので、今日明日で入院する必要はないと言われて本当にびっくり。チビタとまだ一緒にいれるの?と大喜びのわたし。(それがぬか喜びに終わることを当時の私は知らない…)

 

ただ、もしこの先切迫でA病院に入院することになれば、里帰り先のB病院(前回のお産でお世話になった場所)への転院は厳しいとのことで、A先生からの提案で急きょ紹介状を書いてもらい、これからは里帰り先のB病院を受診するよう言われました。安静生活を送るためにも、今すぐ里帰りしたほうがいいだろう、とのこと。

 

その後、里帰り予定だった義実家に事情を説明し、さっそく夜からチビタを連れてお世話になることに。本当に急なできごとではあったのだけど、実家・義実家にはいつ切迫早産で入院してもいいように…と、予めシュミレーションをして事前に打ち合わせしていたので、スムーズに話が進みました。

 

その日のうちに義実家へ

私たち家族は、いつもは2階の空き部屋に泊まっているのだけど、今回わたしは絶対安静で階段の登り降りなんてもってのほか。1階の物置に即席で寝場所を作ってもらい、そこに布団を敷いて今夜は寝かせてもらうことに。

 

(余談ですが、夫から「急やし、今日くらい二階で寝てもいいやん」とめんどくさそうに放たれた言葉は一生忘れない。前回の切迫入院で絶対安静の重みはわかってくれていると思っていたのにな…って、すごくがっかりしたし今でもたまに思い返してがっかりする。)

 

無理やり作った空間にシングルの敷き布団を敷いた本当に狭い場所で過ごすのはとっても窮屈で退屈だったろうに、チビタはわたしと一緒にいたいと言ってごはんやお風呂以外はずっとわたしの隣にいてくれた。寝相の悪いチビタがあちこち体をぶつけないか心配だったけど、夜寝るときもわたしの側から離れなかった。日頃は社交的でママにべったりのタイプではなかったから、今思い返すとチビタは、わたしの異変に気づいて本能的にわたしとの別れを予感してたのかな…?とも思う。

 

その日は、隣で肩を寄せ合い眠りに着く幸せを噛みしめながら、このかけがえのない日常は当たり前に手に入れられるものではないんだな、と改めて実感しました

 

そして、わたしの体の状態は芳しくないけれど、それでも先を憂いて後ろ向きにはなりたくない。入院にしろ自宅安静にしろ、どっちに転ぶにせよ3ヶ月寝たきり生活することには変わりないで、せっかくならゆったりとしたおうち時間を満喫してやるぞという気持ちでこれから何が起きても乗り切るぞ!と心に決めて眠りについたのでした。

(何がなんでも持ち堪えて正期産で産みたい!という願掛けも込めて。)

↑母入院未遂騒動が起きる前日のお昼寝チビタ。(そして毎度ながら雑なわたしのらくがき)

 

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